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徳川将軍家伝来 大志津
Sizu Kaneuji From Tokugawa Family

鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 重要刀剣[N.B.T.H.K] Juyo Token No.58

徳川将軍家伝来 大志津Sizu Kaneuji From Tokugawa Family
  • NO.603
  • 徳川将軍家、豊前中津奥平家伝来
  • 財)日本美術刀剣保存協会 第58回重要刀剣
  • [N.B.T.H.K] Jyuyo Token No.58
  • 大志津 無銘(伝 志津)Mumei (Den Ou Shizu)
  • 白鞘刀Katana and Shirasaya
  • 2尺2寸4分(68.0cm)反り1.7cm 元幅3.0cm 先幅2.2cm元重0.5cm
  • 南北朝時代ー美濃国(岐阜県)
  • 価格 御売約 Sold Out

    南北朝時代、美濃伝の開祖、兼氏に極められた作品。 本作は大磨上無銘の刀で、志津と鑑せられている。志津とは元来は美濃の地名であるが、この地に大和より正宗の門人兼氏が来住して鍛刀したことから、地名を取って志津三郎兼氏と呼称しており、兼氏の略称となっている。兼氏は正宗十哲と称される刀工の中では最も正宗に近似の作域を示していることで知られており、本作も大磨上ながらなお反り深く、重ねが薄く、大切先の豪壮な体配に、刃文、総体に小沸出来の浅いのたれ刃に足入り、所々激しく沸づき、細かな金筋・砂流しを交え、地鉄、板目肌所々流れごころとなり、木肌交え、強い地景が盛んに入って地沸厚くつくなど一見して南北朝時代の相州上工の作風を示している。子細に見ると腰元には乱れの山に霞がかかったような二重刃を交え、中程にかけては激しく沸づき、物打ちにかけて僅かに互の目乱れを交え、帽子には金筋・砂流しを交えて激しく沸づき焼き詰め風となり、地鉄、板目が総じて肌立ちやや白けるなど、僅かに見れる美濃色や大和気質が加えられた所より、まさに志津三郎兼氏の典型的な作風を示しつつ総体に変化に溢れて見所が多い優品である。
    本作は豊前中津奥平家刀剣目録に「大志津」と所載された作品で、同書によれば慶安元年(一六四八年)徳川将軍家三代家光公が東照宮社参の折、四月十五日に宇津宮城に立ちより、その際奥平忠昌が賜ったことが記されている。(同家は天正3年(1575年)5月の長篠の戦いで功をなして厚遇され、徳川家康の長女・亀姫の婿に認められ、家康の初孫に恵まれるなどして分家を「徳川家御連枝」として興すことを許された。著しい戦功から大般若長光(国宝)包丁正宗(国宝)等々、刀剣史を代表する数々の名刀が贈られていた名門である。) 付随する鞘は現在では極希少となった奥平家の御家鞘であり、独特の仕立てと安政6年(一八五九年)に同家が本阿弥光佐に依頼した研磨、並びに鑑定に拠る代金百枚の格付けが記されている。同家の御家鞘は国の重要美術品に指定されている名物「八幡左文字」や同家筆頭の宝刀として名高い名物「僧正孫六兼元」などに僅かに残されているのみであり、同時に貴重な一級資料である。 穏やかな志津三郎兼氏の典型的な作風を良く示した名品であり、慶安元年、(一六四八年)には既に徳川将軍家で志津に極められていた古極めであり、かつ徳川宗家と中津奥平家に関わる江戸初期からの伝来が今に残されている大変貴重な優品である。

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