刀剣界ニュース

全刀商の活動紹介   大刀剣市実行委員会〈番外編〉 ある日のカタログ作成当番 もののけの潜む踏切 !?

コッコッコッコッ、ハイヒールの音がする。刀匠川晶平が一日の仕事を終え、火床の始末をしているとき、その音は聞こえてきた。今夜で何日目だろうか。第一、この鍛刀場の周りはハイヒールで歩くのには適していない。今夜はその音の主を確かめてみようと外の道路まで出てみたが、誰もいない。しかし、コッコッコッコッ、ハイヒールの硬い音だけが未舗装路に消えていくではないか。
 そのとき川刀匠は、音源の先の闇にこの世ならぬ世界がぽっかりと口を開け自分を待っている気がし、その先へは一歩たりとも踏み出せなかったという(川晶平ブログ「テノウチムネノウチ」より抜粋)。
 さて、寝苦しい今夜は俺も川刀匠同様、お呼びがかかってしまう話。
「大刀剣市」のカタログ作成作業は、この猛暑のさなか天王山を迎える。今年も多くの若手・中堅刀剣商が汗にまみれ、スタジオに、印刷会社にと自分の本業を顧みず詰める。
 少し前の話だ。
 〇七年の刀装具を撮影したのは、ベテラン要史康氏。氏の刀剣界での活躍の今さら何を語れというのだろうか。知人の広告代理店社長の「年配の写真家にとってアシスタントは奴隷だ」という言葉。子供のころ見た立木義浩カメラマンがアシスタントをイビるカメラのCM、これらを予備知識にアシスタント当番としてスタジオカナメに出向いた俺には、この初老の写真家は拍子抜けするぐらい穏やかで優しい人だった。
 「一番好きなのを選んでいいぞ」と言って、午前中の早い時間から宅配弁当のチラシを俺に渡す気づかいを見せてくれる反面、一度ファインダーを覗くといっぺんにピリピリとしたオーラを出し始める。配置チェ
ック、シャッター回数チェック、室内灯の点灯・消灯がこっちの仕事だが、失敗は、氏が放つオーラからも許してもらえそうにないのがわかる。
 灼熱の太陽が沈み、緊張しっ放しの撮影が大詰めを迎えたころ、嶋田理事から嫌な指示が入った。組合事務局でなく、俺の職場に撮影の終わった高額の刀装具を預かってくれというものだ。本紙第十二号の金融委員会の記事にも書いたが、高額となると物品だろうが現金だろうが、他人のものを預かるのはあまり気が進まない。しかし、事務局が開いている時間ではない以上、仕方がない。
 撮影終了後、車を近くの有料駐車場から出し、要氏に手伝ってもらい、後部に刀装具を載せる。スタジオのあるビルの入り口前、車は鼻先を小田急参宮橋駅に向けて停まっている。その向こうの首都高速代々木入り口が都合がよい。
 日本美術刀剣保存協会に車で来たときは参道、乗馬クラブ右折、その先Uターンで首都高へ乗るが、今夜は近道を探そう、どこか踏切を超えれば一発で高速入り口だ、と俺は考えた。狙い通り、クランクの先に踏切はあった。警報音が響き、遮断機の前に車を止める。
 俺のこの日の足は、小型のワゴン。鎧櫃が五つと人が二名乗れ、重宝しているが、冷房が設定温度方式だ。暑い寒いと感じるのは車でなく乗員なのに、という思いはあるが、ここは話を先に進める。
 冷房のコンプレッサーを動かすのには力が必要となり、車はアイドリングを上げる。停車時にオートマのこの車のブレーキを踏んでいても、心なしか前に進もうとするのだ。右から新宿行きの各駅停車がやって来たとき、車は冷房をさらに効かそうとアイドリングを勝手に上げやがった。ググッと遮断機が近づく。あわててブレーキを強く踏み、遮断機が上がるのを待った。
 冷や汗をかきながら渡って、気づいた。首都高代々木入り口は右にあり、近道をしたつもりが届いていないのだ。ここで諦め、二回のUターンで帰ればよかったのだが、何だか悔しい。
 俺がもののけの類にビビるわけがない、単なる偶然だという気持ちになり、参宮橋駅上を左折、もう一度スタジオカナメの前に戻ってやった。すぐ右折、今度こそ便利な踏切を見つけるぞと先に行こうとするが、進入禁止に当たる。バックか?
 戸惑った俺に、誰かが軽いホーンを鳴らした。都会では少数派の軽トラック、運転者は年配の女性。仕方なく、先ほどの踏切を渡ることにする。
 遮断機の前で停車するが、こんなときに限り妙にブレーキペダルに浅く足の指がかかった。このとき、また先ほどの冷や汗を車が感知したのか、冷房のコンプレッサーとアイドリングにさらに強く前に押し出されそうになる。右から今度は箱根発の特急がやって来て、足の指が引きつった。ミラーの中の軽トラの女性はこっちを無表情で見ている。俺は後ろに積んである刀装具の総額を想像すると同時に、小田急電鉄参宮橋駅長さんが、わが家の玄関前で嫁さんに「この度はご愁傷さまですが、ご主人に威力業務妨害が発生しております、その請求を……」と説明するシーンまで想像し、汗はますます引かなくなった。
 想像は現実とならず、今度は二度Uターンを繰り返し首都高速に乗ったが、次の日、忘れた夏物のジャケットをスタジオカナメに地下鉄で取りに行くまで、心にもやもやと魑ち魅み魍もう魎りょうが入り込んでいた感じを払拭できなかった。
 要氏は「君らはリッチだなあ。僕の世代ならジャケットは財産だぞ。絶対忘れないぞ」と笑顔で言う。要氏のこの笑顔が、俺を正しく現実の世界へ戻してくれたような気がしてならない。
 また後日、スタジオカナメと同じビルで刀剣店を開いている簱谷大輔氏にこの話を聞かせたところ、「そんな便利な道はないですよ。僕の店に来たら乗馬クラブ右折、その先Uターンで首都高へ入るしか道はありませんよ」と教えてくれた。急がば回れ、だったのだ。
 今、俺は違う普段の足に乗り換えたが、前の車と同型車を刀匠の下島房宙氏が長く愛用。欠陥の類の話は一切ない。
 えっ!ニュートラルにすればよかったんじゃないかって?そうかも…。でもそんな余裕なかったの!刀剣界にはもっと怖い話がたくさんあるけど、十四号は年末になってしまうから来年の夏だな。(綱取譲一)

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