刀剣界ニュース

私が出会った珍品・優品アメリカでの名刀と人との出会い

今から十年ほど前までの約十五年間、名刀を求めてアメリカ各地を探し歩いていたころの話である。
 
アメリカでは、「ジャパニーズ・ソード・ショー」というものが年に七、八回開催されていた。各都市の有力な愛刀家が中心となり、ショーを主催するのである。二月には温暖な気候のフロリダ州タンパで、四月にはヒューストン、八月は涼しいサンフランシスコ、十月は紅葉の美しいシカゴといった具合である。そのほか、日本刀剣保存会のアメリカ審査会に合わせて、ニューヨークやロサンゼルスでも開かれていた。
 
ショーには全米をはじめヨーロッパ各国、日本などから愛刀家を中心に三百人ほどが集まり、三日間開催される。ホテルの大ホールを借り切って一〇〇〜一五〇ものテーブル(一五〇×一八〇センチ)が並べられ、その上に日本刀や鐔・小道具類、火縄銃、甲冑等々が、展示という状態よりむしろただ置いてある。研ぎ上がっている刀はまれで、うっすらと錆のあるものが多い。鑑定書の付いているものはなく、増してやプライスの付いているものなど皆無である。
 
持ち主はテーブルの向こう側にニコニコしながら座っている。興味のある品物は「メイ・アイ・スィー」(見てもいいですか)と断って見せてもらう。多くは自分で柄を外し、見終えたら柄に収めて返すのがルールである。
 
値段を聞くと、いろいろなケースにぶつかる。時に相場の何倍もの値を付ける者がいたかと思うと、真面目に答える方もいる。「メイク・オファー」(値段を付けろ)と言われた場合、それからが面白い。こちらが百万円きっちりに付けると相手は百五十万円と言い、結局百二十万円前後で買わされることがよくある。最初から事情を察して値を付けなくてはならない。
 
最も注意しなければならないのが、値段交渉に長い時間を費やすことだ。十分も二十分も折り合いがつかないでいると第三者が割り込み、わずかな価格差で決められてしまうことがある。トンビに油揚げをさらわれるようなものである。こんなときほど悔しい思いはない。つまり、日本人ディーラーは目も利くし、値段もよくわかると思われ、ひそかに行動を監視し、聞き耳を立てているちゃっかり屋がいるのである。
 
また「アンダーテーブル商品」と言って、展示していないが自分の気に入った客にだけ特別に見せる商品がある。実際に、びっくりするようなものに何点か出くわしたことがある。こんなときは、飛行機に乗ってはるばるやってきたかいがあったと実感する。
 
このようにショーは実に面白く、魅力的であり、行く前は心が踊り、「大間のマグロ漁師の心境もかくありなん」と思う。
 
ショーに最初に連れていってくださったのは、葵美術の鶴田一成さんである。無理をお願いしたところ、快諾してくださった。また、ご一緒していただく度に、実に細かく丁寧なご指導をいただいた。
 
例えば、入国する際の注意点(一万ドル以上持ち込む場合、必ず書類を提出する。万一これを怠ると、全額没収されるケースもある)、ホテルの部屋のセキュリティーには十分に注意を払うこと、アメリカ人ディーラー各々の性格、さまざまなエチケット、団体旅行と異なり一人旅はすべて自己責任で行動すべきこと等々、その場その場の実践に即した注意点を教えてくださった。おかげさまで十五年間、無事故で海外出張をすることができた。深く感謝申し上げたい。
 
その間には数多くの思い出がある。全米主要都市や観光地を歩き、見聞を広めることもできた。日本刀を通じて、世界中に友人もできた。日本から同じショーに行く同業の方たちの中でも、安東孝恭氏・服部暁治氏・籏谷三男氏らは年齢的にも近く、気心も知れ、海外での仲間意識もあり、今でも親しくさせていただいている。
 
名刀とも巡り会えた。延宝五年紀の井上真改、五字忠吉の刀、則房の太刀など印象深い。
 
中でも無銘来国行との出会いは忘れることができない。今から二十年ほど前のシカゴ・ショーでのことである。私が二十代後半のころ、加島進先生に国宝童子切安綱の太刀を手に取って見せていただいたことがある。そのときの背筋がゾクゾクした感激を鮮明に覚えているが、国行との出会いはそれに近いものだった。
 
大磨上無銘ながら二尺三寸前後、身幅やや広めに平肉豊かにつき、切先延び心の猪首切先、輪反り高く凛とした太刀姿である。表裏ともに棒樋を力強く掻き通す。地鉄小板目肌に地沸細かによくつき、地景入り、沸映りが立っている。刃文は小沸出来の広直刃調に湾れ、小丁子・小乱れ交じり、刃中に足・葉入り金筋入る。帽子乱れ込み、掃き掛けている。
 
二字国俊か、来国光か、あるいは郷義弘かと期待は大きく膨らんだ。何度見ても名刀の雰囲気が漂っている。今この刀を買わなければ絶対に後悔すると、後先も考えず、有り金をはたいて買い求めた。
 
自分のものにしてからは、早く日本に持ち帰り確認したかった。胸が躍った。帰国早々に藤代松雄先生を訪ねた。先生はじっくりご覧になり、「郷も悪くはないが、やはり来国行かな」とおっしゃった。そのときの安堵感は、今でもよく覚えている。
 
その後、鎺と白鞘を新調し、松雄先生に最高に研いでいただいた。以前に増して名刀の輝きが発揮された。保存刀剣・重要刀剣・特別重要刀剣と、最高位の指定まで一気に駆け上ってくれた。
 
縁あってこの国行は手放したが、昨年の暮れ、約二十年ぶりにあるところで再会した。拝見した瞬間、すぐに国行とわかった。懐かしくもあり、うれしくもあった。ヒケ一つない完璧な保存状態で、いかに大事にされてきたか想像がつく。
 
その日は一日中うれしく、晩酌が少々過ぎてしまった。

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