刀剣界ニュース

江戸東京博物館 武器・武具が物語る関ヶ原の戦

江戸東京博物館で「大関ヶ原展」(三月二十八日〜五月十七日)を鑑賞してきた。関ヶ原の戦というものが、歴史上、戦史上、どういう意味を持つのかということを前面に出した展覧会でした。
 
プロローグ「描かれた戦場」、第一章「秀吉の死―再乱の予感」、第二章「合戦の前夜」、第三章「決戦!関ヶ原」、第四章「戦後の世界―天下人への道のり」、第五章「徳川家康の素顔」、エピローグ「家康の神格化」と、場面をよく押さえ、直江状をはじめとした書状の類も数多く、充実した内容なのですが、『刀剣界』の取材を兼ねる小生としては、刀剣類・武具類をしっかり鑑賞してきました。
 
それに、大関ヶ原展は実は集客率がよく、四月六日(月)の午後二時ごろに入場したのですが、展示場はお客さまであふれており、書状関連などはとても鑑賞できない状況でした。
 
まずは、家康の重臣酒井忠次が所用した甲冑「朱漆黒糸威二枚胴具足兜小道具付」。兜は十二間の筋兜で、金箔押の木製の大鹿角の脇立が据えられる。
 
上杉景勝所用の太刀「銘一、号姫鶴一文字」。景勝公御手撰三十五腰のうち。
 
鍋島勝茂所用の甲冑「青漆塗萌黄糸威二枚胴具足」。伊予札萌黄糸威で桃形の兜に、家紋である杏葉紋の前立が付く。
 
榊原康政所用の太刀「銘国行」。来国行の太刀。近年に至るまで同家に伝来。
 
真田昌幸の所用と伝えられる甲冑「皺革包昇梯子文二枚胴具足」。残念ながら江戸後期に火災に遭って当時の面影はないが、真田昌幸にふさわしく、無骨で実践的な雰囲気。
 
薙刀直し刀「骨喰藤四郎」。藤四郎吉光の作と伝えられる。豊後大友家から足利将軍家、さらに松永久秀に移り、もう一度大友家に戻り、そこから豊臣秀吉に献上、大坂夏の陣で豊臣家が滅亡して徳川家の所有となり、明治維新を迎えて豊国神社が再建されると奉納され、今日に至る。
 
何だかすごい伝来なのだが、この刀はよくわからない。ちなみに、この刀の前で若い女の子たちが、「骨喰があるし.」とはしゃいでいたのが印象的でした。
 
太刀「銘国俊、名物鳥飼国俊」。石田三成が細川忠興から五百貫文で買い求めた刀。関ヶ原の戦場で三成の手元から離れたが、家康の家臣に探し出され、徳川家のものとなった。
 
刀「無銘、名物石田正宗」。石田三成所用の刀。棟に二カ所大きな切込疵があるところから「石田切込正宗」とも称される。三成から家康の次男結城秀康に贈られたそうである。
 
短刀「銘吉光、名物包丁藤四郎」。石田三成に口説かれ、三成を支えて関ヶ原で奮戦した大谷吉継が所持した短刀。家康の手を経て「駿府御分物」として尾張徳川家に伝来。
 
というわけで、刀剣・武具ともまだまだたくさんあるし、前期と後期でも展示品の入れ替えが相当あるようです。ぜひご覧になることをお勧めしたいのですが、本紙の発行されるころには東京展は終了しています。
 
ちなみに、この展覧会は京都文化博物館(六月二日.七月二十六日)、福岡市博物館(八月七日.十月四日)と巡回します。(持田具宏)

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