刀剣界ニュース

刀剣博物館 名刀と過ごす至福の時

新国立劇場を訪れる人やビジネスマンで賑わう東京・笹塚。駅から数分歩くと、そこは閑静な住宅街。クラシカルなスタイルの車や瑞々しい植物に目をやりながら、緩やかな坂を下ると刀剣博物館が見えてくる。
 
ここで特別展「備前刀剣王国」が開催されていた。この展示は、第一期と第二期に分かれて行われる。今回は平安・鎌倉の備前刀をテーマとした第一期である。門を入ると、見学して出てきたとおぼしき中学生男子数名とすれ違う。課外活動の一環であろうか。
 
玄関を入り、二階に上がると受付前のソファーには鑑賞を終えた人たちが座っており、また書棚の刀剣書籍を選ぶ人々の姿。思えば最近、たくさんの刀の本が出版されている。ビジュアルで、お手ごろ価格。売れ行きは好調で、刀への関心の高さを示している。

さて、はやる気持ちを抑えつつ中に。入ってすぐ右に拵が展示されている。金梨子塗鞘糸巻太刀拵の豪華さに思わず「ふー」とため息が出る。少し進むと、今度は渋い黒漆塗鞘の太刀拵が浮かび上がる。いずれも展示品の外装である。素晴らしい。
 
刀剣の展示は古備前から始まる。備前國友成、成髙、利恒、正恒、信房、景安、景則、真則と藤末鎌初の伝説の名工の遺作、それに一文字則宗、尚宗、宗吉、則成、吉房、吉平、吉用、助房、助真が続く。これで終わらず、さらに長舩光忠、長光、真長、近景と続き、平台に景光の短刀が二振展示されている。文句のつけようのない名刀がずらりと並んだ様子は壮観であった。
 
筆者が滞在した一時間半ほどの間に、常に十五人くらいの人がおのおの楽しんでいた。ゆったりと鑑賞できる理想的な人数と言えようし、初日としては上々であろう。
 
入館者には若い人、特に女性が目立つ。出品目録を見ながら、中には熱心にメモを取る女性もいた。友達三人組は「反りが高いんじゃない?」「どうやって抜くの?」「真ん中に線が走っているわ」。キャプションを一生懸命読んで懸命に眺めている。「傘の柄があるらしいわ、クキってところに」「クキ?何それ、どこどこ?」「わかんない」。静かに盛り上がっている三人の乙女たち。

 「あ、それ、クキじゃなくてナカゴと読みます」。思わず話しかけてしまった筆者。そして「誰なの、この人?」と思うより早く、「ナカゴってね、手に持つところです。穴が開いているでしょう?あれです」と説明。「あー、そうなんですかあ。ナカゴかあ」「面白いねえ」「ありがとうございます」。どうやら変な人とは思わなかったらしい。ほっとする筆者。
 
若い彼女たちの多くは、刀に関する知識はあまり多くはない。いや、むしろないに等しい。しかし、反面、好奇心が旺盛で、感性が豊か、先入観や思い込みがない。そして長く刀の鑑賞を楽しんでいる男たちと感覚は異なる。
 
佐野美術館でも拵を見ている女子が「かわいい…」とつぶやくのを聞いて筆者は少なからず驚いた(同じような経験を持つ御仁は少なくない)。明らかに従来の刀剣展示室には存在しなかった種類の人たちである。
 
そんな女子たちがどんな風に刀を見るのか、眺めていた。刀を前にして、まずキャプションを読む。最大字数二十字×七行ほどの説明文を熟読する。その後、刀をちらりほらりと見る。その時間比は七:三といったところであろうか。博物館や美術館に行くと、そういう見方をする人が圧倒的である。若者も基本的には同じである。本当は現物鑑賞を七、キャプション三くらいの感じでいかないともったいない。それでも時代背景、作品への評価、作者の来歴を確認し、その上で鑑賞したいのである。気持ちはよくわかる。 

「そうなるとキャプションはとても大事だなあ」。ふと説明文を読んでみた。筆者にはとてもよくわかる内容であった。おそらく本紙『刀剣界』の読者の多くにとってもそうであろうと思う。そして文章はとても高尚であった。確かに悪くはない。が、しかし、筆者は思う。果たして、茎をクキと読んでしまう彼女たちに理解できるのだろうかと。
 「映りが鮮明で…」とか「この刀工の作は小模様な刃文の作と、豪壮華麗な刃文の作があり、在銘の遺作は前者に多い…」というような専門的な説明文は理解できないであろうし、読んだ上で作品を見ても「ああ、なるほどそうね」とは思わないだろう。
 
そもそも言葉づかいが難しくはないか―。現にこの博物館には中学生も来るのである。新しい鑑賞層が生まれつつある今、説明文にももう一工夫が必要ではなかろうか。展示品はしょせんガラスケース越しにしか見られない。一方、説明文は実際に手にした人によって書かれている。そこにギャップがある。
 「手に取るとそう見える」というのは頭では理解できても、ガラス越しにしか見られない以上、その魅力、言わんとすることは伝わりにくい。とても残念である。むしろ、ガラスケース越しにでも鑑賞できるこのポイントは見てくださいね、というような、大づかみの説明文を付した方が来館者にははるかに親切であろう。どのようにご覧になられてもいいので、説明キャプションはなるべく淡々というのではなく、企画展開催者としてはここを見てほしい、堪能してほしいという意思をもっと強く出しても面白いと思う。
 
筆者が感心した説明文としては、一文字宗吉の重要美術品の太刀の説明文がある。これは映りを明確にわかりやすく伝える内容であった。助真の重要美術品の太刀の説明文も「剛毅」という言葉が印象深く使われていてよかった。
 
今回の展示品は水準が高く、また通常ではなかなか展示されない貴重な作品ぞろいであった。だからこそ、もう少し頑張ってほしかった。刀に対する関心が高まっている今、健全なファン、愛好者を育てる役割が博物館にはあると思うので、見識も経験も浅いのを承知で生意気なことを書いている。なにとぞご寛恕のほど、お願いする次第である。
 
さて、かく申す筆者は一回りして唸り、二回りしてまた感心。三回りしてもはや言葉が見つからない状態となった。
 
こういう名刀展では、必ず強烈な磁力を持つ作が存在する。今回は三振ほど気になる作があった。一つは東郷神社蔵の額銘吉房の太刀(重要文化財)、友成作の三尺一寸超の太刀(重要美術品)、そして正恒の太刀(重要文化財)である。その中で最も強く筆者を引っ張ったのは正恒の太刀であった。
 
豊前小倉藩小笠原家に伝来した名刀で、岡野多郎松さんという有名な愛刀家が大切にしていた「大正恒」である。元幅が広く、反りが高くつき、堂々たる姿をしている。地肌の映りが鮮やか。展示されていた名刀のほとんどは金色に輝く鎺で、研ぎ直されて瑞々しい感じの作も少なくなかった。岡野翁遺愛の正恒はというと、鎺は銀地で、しかもこれが真っ黒く変色している。研ぎもいつごろか、筆者にはわからないが、何とも古そうであった。
 
それでも、圧倒的な迫力で見る者を惹き付けてやまない。この太刀を作った正恒という刀工と、所持していた鎌倉武士、大切に守り伝えた人々、そしてそれをそのまま大事にしていた岡野多郎松翁。この太刀と関わった人々の長大な時間を思うと、何だか不思議な気持ちになる。「ああ、いつまでもこれを見ていたい…」。そう思っていると、偶然知り合いが通りかかった。
 
筆者「これ、すごいですねえ」
 
知人「すごいでしょう?だって重文ですから。古備前ですから」
 
筆者「これに、入ってすぐの所にあった黒漆塗鞘の太刀拵が付いてるんでしょう?」
 
知人「そうですよ」

筆者「もしこの中のどれか一つをお前にやろう、っていうなら、僕はこれだなあ」
 
知人(間髪をいれず)「そんなこと誰も言いません!」
 
若く美しいご婦人が二人のやり取りを呆れたように見ている。  うるさい知人が去った後、正恒を見て、筆者はまた痺れていた。そんな筆者のように繰り返し見ている人が今回はもう一人いた。「ああ、この人も自分と同じだ」。

そう思った。その人に「どれが一番痺れましたか?」「正恒をどうご覧になられましたか」などとお
尋ねしたい衝動に駆られたが、やめた。穏やかなその紳士にはどことなく人を寄せ付けない何かがあったのである。
 
眼福、まさに眼福。大正恒には、研磨の状態、由緒と伝来、指定、それらをすべて取っ払ってもなお残る、名刀特有の美があったように思った。「いい太刀を観られて幸せ!」うれしくて、うれし明確にわかりやすく伝える内容であった。助真の重要美術品の太刀の説明文も「剛毅」という言葉が印象深く使われていてよかった。
 
今回の展示品は水準が高く、また通常ではなかなか展示されない貴重な作品ぞろいであった。だからこそ、もう少し頑張ってほしかった。刀に対する関心が高まっている今、健全なファン、愛好者を育てる役割が博物館にはあると思うので、見識も経験も浅いのを承知で生意気なことを書いている。なにとぞご寛恕のほど、お願いする次第である。
 
さて、かく申す筆者は一回りして唸り、二回りしてまた感心。三回りしてもはや言葉が見つからない状態となった。
 
こういう名刀展では、必ず強烈な磁力を持つ作が存在する。今回は三振ほど気になる作があった。一つは東郷神社蔵の額銘吉房の太刀(重要文化財)、友成作の三尺一寸超の太刀(重要美術品)、そして正恒の太刀(重要文化財)である。その中で最も強く筆者を引っ張ったのは正恒の太刀であった。
 
豊前小倉藩小笠原家に伝来した名刀で、岡野多郎松さんという有名な愛刀家が大切にしていた「大正恒」である。元幅が広く、反りが高くつき、堂々たる姿をしている。地肌の映りが鮮やか。展示されていた名刀のほとんどは金色に輝く鎺で、研ぎ直されて瑞々しい感じの作も少なくなかった。岡野翁遺愛の正恒はというと、鎺は銀地で、しかもこれが真っ黒く変色している。研ぎもいつごろか、筆者にはわからないが、何とも古そうであった。
 
それでも、圧倒的な迫力で見る者を惹き付けてやまない。この太刀を作った正恒という刀工と、所持していた鎌倉武士、大切に守り伝えた人々、そしてそれをそのまくて、顔はおのずと綻び、体は軽く、まさに「幸せでパンパンに膨らんだ風船」になった気分である。世の中の大抵のことはすべて許せるような不思議な気持ちにもなっていた。ふと時計を見ると、信じられないほどの時間が経過していた。
 
南北朝・室町の備前刀を扱う第二期は八月二十五日㈫〜十一月一日㈰の予定で開催される。「岡野先生の正恒を見たからもういいかな」。ふとそう思ったりもする。でも、きっと第二期も見に行くだろう。また強い磁力を持つ一振との出会いを期待している。
(小島つとむ)

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