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一関市博物館 日本刀の源流 「舞草鍛冶」に触れる

一関市博物館は、公立博物館の中で日本刀に最も力を入れている博物館の一つとして知られている。
 
通常、博物館や美術館は街の中心部に立地することが多いが、同博物館はJR一ノ関駅からタクシーで十九分ほどの、観光地として有名な厳美渓に近い所にある。平成九年にオープンした。
 
観光バスが何台も止められる広い敷地内に建つモダンな二階造りがそれである。日本刀の展示室は二階にある。
 
ところで何故、同館が日本刀にそれほどまでに力を入れているかだが、おそらく、日本刀の源流の一つとも言える舞草冶の集落が一関市内にあったからに違いない。
 
舞草鍛冶と言っても、なかなかなじみの薄い刀工群である。それは在銘品がきわめて少なく、加えて時代があまりにも古いからにほ
かならない。
 
舞草鍛冶は、観音山(別名鉄落山)の中腹に延喜式内舞草神社が鎮座することから、この周辺において活躍したものと考えられる。ここでは良質の鉄が大量に生産されたと言われ、加えて北上川の船津でもあり、下れば石巻港である。北上川を挟んで、対岸には奥州藤原氏の居城がある。平安後期、藤原氏の庇護の下に大いに栄えたことは間違いない。
 
平安期の舞草刀で在銘の作品は現在確認されていないが、古伝書の以下の記述からは舞草鍛冶の繁栄ぶりがうかがえる。
・朝廷に太刀三千振を献上した光長のこと。

・源氏の宝刀「髭切」が舞草鍛冶の「文寿」の作であること。

天下の名工古備前正恒の父「安正」が舞草鍛冶であること。

鎌倉後期に書かれた「観智院本銘尽」の「神代より当代まで上手の事」のうち四十二名中「世安」「宝次」ら七名の舞草鍛冶の名が挙げられていること。
 
しかし、舞草鍛冶の多くは鎌倉前期の奥州藤原氏滅亡とともに衰退した。その流れをくむ宝寿の作品の中に、鎌倉中期・同後期・南北朝期・応永年間に何代かにわたって在銘品をわずかに確認することができる。
 
鎌倉中期の作と思われる宝寿在銘の重要文化財太刀(静嘉堂文庫所蔵)がその一振である。鎌倉後期の作で正中年紀の重要美術品太刀(御嶽神社所蔵)もあり、年紀は入っていないが、他に数振確認できる(そのうちの一振は一関市博物館が所蔵している)。
 
同館所蔵の作品で最も有名なものが、額銘で「建武」「宝寿」と入っている重要美術品である。元来三尺近い豪刀であったものだが、現在は二尺三寸に大磨上げしてある。身幅広く大切先の南北朝の姿に、地鉄は大板目流れて杢目交じり、総じて肌立ち、弱い地景が入っている。刃文は互の目乱れにわずかに飛焼交じり、砂流しかかり、総体に沸づき、匂口は沈みごころである。帽子は湾れ込んで掃き掛けている。
 
建武の年号は誠に貴重である。
 
南北朝期の宝寿の太刀でほかに年紀のあるものは、永和二年と永徳年紀の折り返し銘の刀(重要美術品)ぐらいである。応永年間に入ると、短刀および平造りの脇指などに七、八点確認することができる。その後は寛正に一点あるのみで、宝寿の作品はこの辺で終わっている。
 
舞草鍛冶の流れをくむ刀工に、現在の山形県寒河江市谷地周辺に移住し、南北朝期以降、特に室町期全般にわたって活躍した月山鍛冶がいる。独特の綾杉肌で有名である。末裔が江戸時代後期に大坂に移住し、月山貞吉―貞一(帝室技芸員)―貞勝―貞一(重要無形文化財保持者)―貞利―貞伸と続き、現在も、奈良県三輪山の麓にて鍛刀所と月山記念館を営む名門鍛冶である。
 
一関市博物館の日本刀展示室は、約一五〇平方メートルのゆったりした空間である。日本刀をより見やすくするために照明を暗くし、落ち着いた雰囲気である。作品は両側の壁際に一振ずつ堂々と配置されている。スポットライトはそれぞれの地鉄・刃文・帽子までも鑑賞できるよう配慮が行き届く。解説文もわかりやすく完璧だ。
 
館蔵品は、宝寿在銘が七点、鎌倉後期作と思われる舞草二字銘の太刀、それに古備前正恒の太刀がある。これは正恒の父が舞草鍛冶の安正であるためだ。一関藩が仙台伊達家の支藩であった関係から、山城大掾藤原国包の刀もある。
 
宝寿以外で多いのが、一関士宗明の刀である。八振ほどもある。宗明は一関藩の藩士であり、固山宗次の門人である。さすがに一関藩の武士の注文によるものが多く収蔵されている。宗明の刀は日露戦争の折、敵の機関銃を真っ二つに截断したことでも有名な業物である。
 
そのほか、日本刀の製作工程見本も展示され、初めての方にも理解しやすいよう工夫されている。受付には「日本刀ってなに?」と題したパンフレット(一部百円)が置いてあるが、わかりやすい内容で参考になる。
 
なお、同館には当地ゆかりの展示として、一関のあゆみ、骨寺村荘園、一関と和算、大槻玄沢と蘭学などのコーナーもある。
 
私は昨夏、久しぶりに平泉中尊寺を参拝した。途中、義経堂近くの展望台から東の方を見渡すと、眼下に北上川がゆうゆうと流れ、対岸五キロほどの所に観音山も確認できた。あの辺りが舞草鍛冶の集落があった場所かと思うと、感慨深いものがあった。
 
その後、毛越寺・達谷窟・厳美渓などを見学し、締めくくりに一関市博物館を訪れ、誠に充実した日を過ごした。
 
世界遺産である平泉中尊寺に行かれる機会があったら、ほんの少し足を伸ばし、一関市博物館をぜひ訪ねてほしい。日本刀に関心のある方なら、きっと満足されると思う。同館の活動には、刀剣人として心から敬意を表するものである。
(冥賀吉也)

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