刀剣界ニュース

旅すること、 刀を作ること

代々続く刀鍛冶の家系に生まれた私は、幼いころから炭の粉や、鞴の音、鉄の沸く独特の匂いと一緒に育ちました。
 
長男の私は、物心つくころには周囲の環境や声などから、当然刀鍛冶になるもんだ、と思っていました。しかし、いわゆる跡継ぎと言われる少なくない人がそうであるように、反発と好奇心から興味は外へ外へと向かっていきました。今振り返れば、稚拙な考えの自分に恥ずかしい思いをするばかりですが、大学を卒業するころには「自分探しの旅」と称し、放浪の真似事のようなことをしていました。実際は、濃くない髭を生やし、汚い格好をして、重いザックを背負い、外国をフラフラしているだけでした。南京虫がいるような安宿で目を覚まし、けだるい体をようやく起こしてまた次の町へ……そんな日々でした。
 
しかし、そのときはそのときで精いっぱいであったし、次の町に行けば何か新しい自分に出会えるかもしれないという、根拠のない思いが私を突き動かしていたのかもしれません。
 
東京で形ばかりの会社勤めをし、お金を貯めては旅に出ていた私は、その後弟子入りすることになる、宮入小左衛門行平の個展に招かれました。幼いころから交流のあった宮入と作品を見ながら近況を話した帰り際、ふと宮入が、家族で旅行に行くのもいいもんだよ、と言い、個展の図録を手渡してくれました。その図録の最後のページに「ものを作ることと、旅することは同じである」と書かれていました。その一節に目の前の霧が静かに晴れたような気がして、宮入の門を叩くことにしたのです。
 
それから十五年が経ち、年齢は四十を過ぎました。
 
作刀のさまざまな工程はすべて自分の手で究めていくわけで、出来上がったものは誰のせいにもできないし、言い訳もできません。出来上がったものからは自分の負の面ばかりが目に付きますが、中には「一平君らしいいい刀だね」と言ってくださる方も……。少しのそういう喜びが、また次の作刀へと向かわせてくれるのかもしれません。だからこそ、作刀を通じて自分と向き合い、未知の領域に徐々に歩み寄り、成長したいと考えています。
 
終着駅はまだ見えませんが「もの作りの旅」を続けていきたいと思います。
学教育学部を卒業。その後刀匠になるまでの経歴は本人の記す通り。同十二年、宮入小左衛門行平刀匠に入門、十七年、文化庁より作刀承認を受け、同年新作刀展覧会に初出品して努力賞・新人賞を受賞。全日本刀匠会主催お守り刀展では第三回展特賞一席、新作日本刀刀職技術展覧会では第一回作刀の部金賞六席、第三回展金賞一席、第六回展金賞一席など数々の賞歴を有す。現在、全日本刀匠会理事、同信越・北陸地方支部長。
 
素敵な奥様に恵まれ、二児の父親。童顔で明朗快活、周りに対する気配りのできる人だ。宮入家の子供たちにも兄のように慕われる存在で、何人もの弟弟子の面倒を見てきた。
 
一見、営業職や学校の先生の方が向いているようも見えるが、本人の信条は違うようで、仕事に打ち込んでいる姿はまさに真剣そのもの。決して楽な道を選んだとは思えない。偉大な師匠と川崎晶平という実力派の兄弟子の下、これまでの賞歴は当然と思われるだろう。そして最近は、弟弟子も頭角を現している。
 
人柄が良く、真面目な性格から交友関係も広く、周りの期待の大きさは本人も感じているはず。技術は十分に身に付いているのだから旅の目的は自分で明確にし、自分で確信してほしいと思う。ますますのご活躍を期待しています。
(研師・阿部一紀)

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