新刀

源清麿 大小 虎徹と清麿展出品作
Minamoto Kiyomaro Daisho

源清麿 大小 虎徹と清麿展出品作 Minamoto Kiyomaro Daisho
  • NO.A735
  • 銘文:源正行 弘化二年二月日
  • Sign:Minamoto Masayuki A.D.1845
  • 種別:白鞘大小 Daisho and Shirasaya
  • 寸法 大:2尺4寸6分(74.6cm)反り 2.5cm 元幅3.1cm 先幅2.3cm 元重0.7cm
  • 寸法 小:1尺5寸7分(47.8cm)反り 1.2cm 元幅3.0cm 元重0.4cm
  • 時代:江戸時代後期ー武蔵国(東京都)
  • 価格:御売約 Sold Out

世人「四谷正宗」と讃えられた幕末の天才刀工、源清麿の作品。
清麿は本名を山浦内蔵助環といい、文化10年(1813年)に信州赤岩村に生まれた。文政12年(1829年)に兄、真雄と友に上田藩工河村寿隆の門に入り、初銘「一貫斎正行」のちに「秀寿」と名乗り、天保6年(1835年)江戸に出て、幕臣で評論家として名高い窪田清音のもとで学び、一時は長州萩でも作刀し、弘化3年(1846年)「清麿」銘に改め、嘉永7年(1854年)42歳で自刃した。
本作は弘化二年、清麿33歳全盛期の作品で、大の刀は鎬造身幅尋常で整った姿に、刃文、匂出来の互の目乱れに、金筋・砂流しを交え、地鉄、板目肌綺麗によく詰み、杢を交え、地沸微塵に厚くつき、地景頻りに入った良く練れて強く美しい景色をみせており、小の脇差は清麿が生涯の中で武用刀のあるべき姿として最も好んだ同作独特の力強い菖蒲造りの傑作である。清麿大鑑誌上にて「会心の一作」と評された同作中の傑作で、各地を巡って鉄鉱を探り、鍛法を尋ね求め、多大の集積を携えて一念発起し、再び江戸に舞い戻った清麿の円熟した技量と意気込みの程を見せつけるまさに最高峰の出来口を示した会心作である。加えるに同作の大小はすこぶる希少で、先に特別重要刀剣として指定された嘉永元年作の大小は指定時には「他に例を見ない」と云われ「一期一腰」と名付けられた程である。
※特別展「日本刀の華 江戸の名工 虎徹と清麿」出品作
※中島宇一著「清麿大鑑」所載品


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