鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 保存刀装具
[N.B.T.H.K] Hozon Tousougu

- NO.B252
- 銘 :西垣勘平 六十二歳是作
- Inscription: Nishigaki Kanpei 62 years old
- 江戸時代-肥後国(熊本県)
- 法量 縦:78mm 横:75mm 厚:4.5mm
- 価格:¥440,000
江戸時代、細川家抱え工として活躍した西垣勘平の保存刀装具指定作品。
西垣派は、平田彦三門人であった初代西垣勘四郎より創業され、林 、平田、志水家と共に細川家抱工として肥後金工群の主流を形成した。一般には、春日(木)派が精巧であるのに対して、西垣派は雅趣があると云われる。おおらかな肉取りで耳際が切羽台よりやや低くなって碁石形をしているのが、肥後鐔中ではこの一派だけに見られる。西垣勘平は寛永頃に初代勘四郎の次男として生まれた。実兄の二代勘四郎とは別家をたてて鉄の透鐔を専らに製作し、享保年間(1720年頃)に八十歳近い年齢で没したと云う。肥後高麗門住。勘平の作は初二代勘四郎の雅趣とも優美とも異なって概して固いと云われるが、よく初代勘四郎の風を襲っており、鉄物の透能を得意として手際がよい。地透に毛彫あるいは枯木象嵌を施す作風で「西垣勘平作」あるいは「勘平作」と切羽台裏右側に刻銘した作が多く、晩年には行年銘を入れている(六十二歳から七十五歳まで現存)落ち着いた艶の黒紫錆色を呈した障泥形鉄磨地に、毛彫を添えた地透で梅・松・桜を意匠し、耳の内側を雪輪にしている。増鏡や太平記をもとにした謡曲「鉢木」の画題で、大雪の晩に執 権北条時頼を松・梅・桜の三鉢の盆栽を薪にしてもてなした佐野源左衛門常世の心がけを表現している。北条時頼記が人気を博した江戸期の時代背景と理解される。肥後金工大鑑所載の鉢木透図鐔(無銘勘平、黒川古文化研究所蔵、p.243) とは同図同形で符号している。切羽台表側に西垣勘平と六十二歳是作が刻銘され、管見の限りでは行年銘の最初期作として史料的価値が高い。恐らく元禄(1688-1704)期頃の製作と推定される。精良な地鉄、細やかな質感の錆色、穏やかな平肉の働き、梅松桜の透かしの圭角、即興な毛彫の鏨跡など、勘平らしい作風が堪能できる。勘四郎に比べて雅味に乏しいと云われる勘平だが、透かしの構成に纏まりがあって秀逸な作品に仕上がっている。