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鑑定書について考える

 「折紙付き」と言えば、絶対に保証できるという評判や評価のこと。それが刀剣の鑑定書に由来することは常識だ。では、なぜ日本刀に鑑定書が付くようになったのか。鑑定書はなくてはならないものなのか。今日における鑑定書の意義は―。コレクターと刀剣商の関係を軸として、あらためて鑑定書について考える。

刀剣鑑定書の始まり

 絵画・書・陶磁器・道具などの古美術品には、鑑定書(折紙・極め書き)のようなものは古今あまり見られませんが、刀剣やそれに付随する小道具には室町時代から本阿弥家などが出しています。
 鑑定書の態をなした現存最古のものは、室町時代末期の文明二年(一四七〇)に赤松政秀が書いたものだと言われています。その後、本阿弥家九代の光徳が豊臣秀吉の認可を受けて刀剣極め所となり「折紙」と呼ばれる鑑定書を発行するようになりました。ただし、現在のような真偽の鑑定というよりも、その刀に対して大判や小判などの金子による代付けが主でした。
 では、現在の鑑定書のように真偽を中心としたものはいつごろから現れたのでしょうか。
 戦国時代である室町時代末期から安定した武家社会の江戸時代になると、法や秩序を徹底厳守させるために、何か大きな間違いや、いざこざ、もめ事が起きると、その責任を当事者の切腹や打ち首などの死をもって償っていました。
 武家社会のような究極の上下社会では、刀剣について偽ったり、たぶらかしたりすることは極刑に値し、刀剣の真偽に及ぶ必要がなかったでしょう。また江戸初期ごろから本阿弥家などが極めている刀を見ても、将軍家や大名家、重職の者たち以外には持つことができない名刀がほとんどで、真偽に言及する必要はなかったと思われます。

刀剣の大衆化と鑑定書

 現在のような形式の鑑定書になるのは、やはり明治以後で、武家社会が崩壊して刀剣が武器や武士のステータスを示す道具の役目を終えて、美術品の色合いが濃くなってからです。
 それでも、明治から昭和の初期までは、まだ皇族や華族、当時現れた大財閥、または政府の高官たちが競って集めたステータス性を強く持った美術品収集の一つでした。
 そのために、このような名刀を商うことを許されたのは、華族や財閥などにお出入りができた本阿弥家などの鑑定家や刀職者だけで、一般愛好家相手の刀剣商には鎌倉期や南北朝期等の名刀を扱う術もなく、室町初期の応永備前でも入手できれば大変なことであったと、当時を知る大先輩から伺ったことがあります。
 要するに、明治から昭和初期ごろまでは、一般の人々が名刀というものを持つ機会がなかったわけで、ごく限られた人たちだけで刀剣の収集がなされていたのです。従って、目利きや鑑定家はその人たちのために働けばよかったので、鑑定書が普及する必要がなかったと言えます。
 しかし、太平洋戦争が終わり、財閥も解体され民主化が進むと、お金を出しさえすれば一般の人でも刀剣を入手できるようになります。刀剣は大衆化し、書画や茶道具などと一緒に古美術品として流通し始めました。そうなると、刀剣の商品価値を測る物差しとして、鑑定書が必要になってくるわけです。

共通の価値観として

 他の美術品と比べて、刀剣は売買で大きな違いがあります。それは下取りです。刀剣以外の古美術品の取引で、以前販売した品物を下取りしたという話を聞いたことがありません。それでは、刀剣類ではなぜ下取りができるのでしょうか。
 理由はいくつかあると思いますが、その一つに、刀剣商の間で共通した相場観があり、下取りした刀が交換会などで共通の目安で現金化することができ、またそれによって小売りで再販することもできるからです。  終戦後から現在まで、幾度も景気の影響を受けて相場の大きな上下はありましたが、他の美術品と比べてその差が少ないところから、日本刀は不況に強いと言われてきました。これも鑑定書や下取りがあり、比較的一定した相場観があるために現金での買い取りができることが、要因の一つと思われます。
 日本刀は、他の美術品と比べて資産価値も高く、昭和四十年代初頭までは不動産などと並んで、どの銀行でも担保物件として通用していました。
 また、日本刀は美術品の中で唯一「刀剣学」として成立しており、他の美術品よりはるかに高い精度で時代や真贋を論理的に実証することもできます。
 昭和になって、さまざまな組織や鑑定家が鑑定書を出してきましたが、その中でも財団法人日本美術刀剣保存協会発行の重要刀剣などの鑑定書は、業者間
または刀剣愛好家の間で共通の認識をもって評価されました。これは、それを盛り立ててきた会員や業者、愛好家、刀剣をこよなく愛し協会を設立した本間薫山・佐藤寒山の両山先生や大先輩の方々など、刀剣界全体が六十年以上をかけて築き上げてきた結果であります。
 真贋を見極め、評価する鑑定技術も刀剣史上、現在が最高だと言えます。それは、名刀はもちろん、量産された刀や偽銘刀まで広範囲を対象とし、六十年間ほぼ毎月行われてきた審査により生まれた膨大な蓄積に負うところ大です。

もし鑑定書なかりせば

 それでは、今まで流通し、業者やコレクターなどがそれなりに認めてきた鑑定書の権威と信用が失墜したり、鑑定書そのものが存在しなくなったとしたら、刀剣界に与える影響はどうでしょうか。
 六十年前の鑑定書がなかった時代を知っているコレクターや業者はほとんどいないと思いますが、鑑定書なしに売買をするのは、買う側も売る側も戸惑うでしょう。何年もかけて相当の信頼関係を構築しないと、数百万円もの取引は大変難しいことのように思われます。
 明治から昭和初期にかけて一部の愛好家が、鑑定家や目利きを雇い、あり余る私財を投じて収集するには、鑑定書がなくても何の問題もなかったでしょう。そうでないとすると、業者は鑑定家並みの知識や判断能力を必要とするし、買う側も自信を持って購入し得るまでの目利きになる必要があります。現在のように「刀のことはよくわからないが、余裕があるから刀を一振買おう」と思う人たちには大変な障害となるでしょう。
 現存している刀全体の七〜八割は無銘だと思いますが、無銘刀は確かに真偽は問われないものの、製作された時代や国、保存状態で価値が大きく変わってしまいます。実際、同じ極めでも重要刀剣の無銘は数百万円、そうでないものはその何分の一というのが現状です。
 重要刀剣の指定制度がなくなってしまったら、そうであるものとそうでないものの値段はどうなるのでしょうか。売る側の信頼や保証だけで、何も付いていない無銘を数百万円で買ってもらえるのでしょうか。コレクターが買い取りで店に持ってきた無銘を数百万円で買い取れるでしょうか。
 現在まで、われわれが相場を作ってきた刀の価値はどうなるのでしょうか。新たな刀剣鑑定組織ができたとしても、刀剣界全体の共通の認識として末端まで浸透し、取引できるようになるには何年かかるでしょうか。

鑑定書の意義を問い返す

 薫山先生、寒山先生が健在で、伝説的な刀剣商が綺羅星のように存在していたのは、もう半世紀近く前になります。そのころに比べて、財団法人日本美術刀剣保存協会や刀剣界全体がずいぶん弱体化してしまったと言われる昨今、鑑定書のおかげで、特保だ、重要だと当たり前のように、あまり真偽も問わずに安心して取引してきたわれわれは、ここでもう一度現在の刀剣鑑定書の意義について考えてみる必要があるのではないでしょうか。
 鑑定の結果に不満や不服の声も聞かれますが、それは鑑定書というものが現れたときから現在まで、鑑定をしてきた組織に付いて回る問題であります。
 われわれ刀剣商には、むしろ刀剣界全体が認め、安心して売買できるための鑑定書が今後も存続していくかどうかの方が大きな問題ではないでしょうか

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