刀剣界ニュース

徳川美術館 コレクションの質量も 保存状態もひときわ優れる

中心に、尾張徳川家の初代・徳川義直(家康九男)より代々の遺愛品、いわゆる大名道具一万件余りを収める美術館です。刀剣類は国宝七件、重要文化財十九件をはじめとして、質量ともに優れた作品が所蔵されています。
 
尾張徳川家は総石高六十一万九千五百石を領し、御三家(尾張家・紀伊家・水戸家)筆頭の雄藩です。明治維新、先の大戦を通じて多くの大名家の道具はほとんど散逸してしまいましたが、その中で徳川美術館の収蔵品は大名家の宝庫・コレクションとして唯一のまとまった存在であり、大変に貴重と言えます。

 「駿府御分物」と呼ばれるものがあります。これは家康の遺産で、元和二年(一六一六)四月十七日、七十五歳で家康が没したとき、駿府城に備蓄されていた莫大な金銀財宝・諸道具類の一部は将軍家・徳川秀忠が相続しましたが、大半は御三家の徳川義直(尾張家)・徳川頼宣(のち紀伊家)・徳川頼房(水戸家)に分与されました。「駿府御分物帳」(元和二年)
は、分与を受けた遺産の目録で、尾張家本・水戸家本が残されています。
 
徳川美術館の刀剣は駿府御分物で、尾張家に分与されたもの四百一振を主として駿府御分物帳とともに、藩政時代に将軍家や紀伊家・水戸家といった大名間の贈答に用いられたもの以外は、当時のまま保存されており、美術的価値とともに他に類を見ない優れた資料的価値も誇っています。
 
藩政時代には尾張徳川家の蔵刀を管理する刀剣台帳である「御腰物元帳」が慶安四年(一六五一)・延享二年(一七四五)・文政(一八一八〜)ごろなどの各時代にあったようで、こちらも同様に資料性が高いと言えます。
 
尾張徳川家の蔵刀には特徴的な蔵番が付いており、孔子が提唱した儒教における五常「仁義礼智信」の一字と数字が記されています。「仁一ノ十二」「仁二ノ八」などと表し、仁義礼智信の順序と数字が小さいほど重要性が高くなります。主要なものは、別表にある通りです。このうち、名物「一期一振」は文久三年(一八六三)、尾張徳川家から朝廷に献上され、現在は皇室の御物となっています。
 
徳川美術館の蔵刀は質量だけでなく、その保存状態も非常に優れています。すべての刀剣が、二百年以上前の江戸時代以前に行われた差し込み研ぎの状態で保存されています。往時、どのような研磨が行われていたのかを知ることができる貴重な資料でもあります。
 
筆者は、八月一日から九月十三日まで開催されていた開館八十周年記念夏季特別展「没後四百年徳川家康―天下人の遺産―」を見学に訪問しました。徳川美術館の名刀がこれほどの規模で一堂に展示されるのは約十年ぶりのことで、多くの来館者がありました。

現在、大人気のオンラインゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に登場する刀剣男士(キャラクター)の鯰尾藤四郎、山姥切国広の本歌とされる本作長義が展示されるということもあり、女性の方も多く見られました。
 
鯰尾藤四郎は一見すると、本当に再刃なのかと思うくらいに綺麗な地鉄をしています。再刃にもかかわらず、これほどに綺麗な地鉄なのは、元来
粟田口物に特有する余程に良い鍛えの地鉄だったのでしょう。黒蠟色塗脇指拵が付いており、再刃後も大切に保存されていたことが感じられました。
 
本作長義は大磨上になっており、この写しである山姥切国広を作った堀川国広は、単に同寸の刀を作ったのではなく、南北朝時代の三尺に近い太刀を大磨上にした本歌の姿を忠実に写していることがよくわかりました。大互の目乱れに、沸のよくついた豪壮な刀で、長義の代表作と言われています。
 
物吉貞宗は細かな沸が厚くつき、匂深く明るく冴え、刃中の金筋・砂流しや湯走りといった働きが見事でした。じっと見詰めていると、竜が瞬きするように見えるという後藤祐乗作の目貫の付いた黒蠟色塗鞘合口拵も展示されていました。
 
ほかにも多くの名刀がありましたが、津田遠江長光、南泉一文字、兵庫守家、鳥養国俊、一文字などの華やかな丁子乱れが差し込み研ぎで映えていました。
 
また、越前康継(慶長十九年紀)の刀は、十年前にも拝見しましたが、そのときに驚愕した記憶が蘇りました。
 
この刀は越前康継が主家である徳川家の注文により鍛え、駿府にあったものが尾張家に分与されたのだと思われます。あまりに保存状態が良いために、約四百年前の慶長新刀にもかかわらず、茎に錆がほとんどついておらずに、製作された当時のままの状態を保っています。約百五十年前の保存状態の良い新々刀の中には、まれに錆の浅いものが見受けられますが、この康継は優にその倍以上の年月を経ており、通常の感覚では信じ難いことです。
 
これには、約四百年にわたり入念なお手入れがなされていなければ不可能でしょう。久しぶりに拝見しましたが、やはり以前と変わらない良い状態で展示されており、あらためて尾張徳川家の御腰物方と、それを受け継がれた徳川美術館の皆様に思わず頭が下がる思いがいたしました。
(冥賀亮典)

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