先日、『刀剣界』に抱負を語ってくれと依頼があり、断り切れずに書くことになりました。人様に語るような事柄を特に持ち合わせてはおらず、今までのことを少し思い返してみました。
修業中、師匠(月山貞利)の所では高価な材料を普通に使って作刀をしており、私はかなり恵まれた状況下で作業をさせてもらい、仕事を覚えてきました。
しかし、鋼の枯渇を経験してきた師匠は、いつどのようなことになるかわからない、自家製鋼も知らないよりはやっておいた方がいいだろうと、何度か見たり操業に参加したりする機会を設けていただきました。
独立後も研修会への参加や学者さんの話を聞く機会に恵まれました。小型炉については、やりようによって独自でもできるかと思いましたが、大型炉に関しては、体力的にもある程度の年齢から始めないと理解するところまでたどり着くことができないのではないかと思い、三十代半ばにして奥出雲のたたらに参加をさせていただきました。
周りの方々には、冬の大事な時期によそ見をせず作刀に励みなさい、と言われたのですが、興味を持ってしまい、体験をしてみないことには収まりがつかなくなっていました。参加をして、この作業の過酷さを思い知るのですが、その中でもいろいろ面白いところが見えてくるもので、大鍛冶と小鍛冶の違いなど大変いい勉強になっています。いまだに足手まといになっているところもあるのですが、しばらくは勉強をさせていただこうと思っています。
ここで得たことを仕事に反映できるのは少し先になりそうですが、頭の中ではさまざまなことが巡っています。炭焼きなどにも興味があるのですが、今は作刀に重心を置いて少しおとなしくしていようと思っています。
入門した年から新作名刀展の大阪城での展示が始まりました。そのころはまだ出品数も多く、百二十振近い作品が並べられていたと記憶しています。毎年の展示の準備のときは、.時雨がすごかったことを思い出します。ここで学ばせてもらった展示の仕方は今でも役に立っています。
当時のコンクールは年に一回だけでしたが、今ではコンクールの数も増え、作品が人目に触れる機会も多くなっています。それはそれで結構なことだと思いますが、一人一振の出品であれだけの数が並ぶと圧巻でした。
私はあまり展覧会に出品しない方なので、周りの方々にはお叱りを受けます。仕事場を移転し、落ち着いてきましたので、これからは出品していこうと考えています。
鍛冶屋は出品するとき、加工賃など経済的な面で負担が大きいのですが、今まで出品を控えておられた方々には、どの展覧会でも構いません、賑やかしに共に一振出してみませんか。後は作品にて…。