鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 重要刀剣[N.B.T.H.K] Jyuyo Token No.8
- No.848
- 銘文:肥前国住武蔵大掾藤原忠広 寛永九年二月吉日
- Sign:Hizenkoku ju Musashidaijo Tadahiro A.D.1632(First Generation)
- 種別:刀 Katana and Shirasaya
- 寸法:2尺5寸1分(76.0cm) 反り1.8cm 元幅 3.2cm 先幅 2.1cm 元重0.7cm
- 時代:江戸時代初期ー肥前国(佐賀県)
- 価格:御売約 Sold Out
- 所載 : 名刀図鑑第七集、日本の名刀
- 伝来 : 東久邇宮家旧蔵
初代肥前国忠吉は橋本新左衛門と称し、佐賀藩主:鍋島家に抱えられた。慶長元年(1596年)、藩命により一門の宗長とともに京に上り、埋忠明寿の門に入り、同三年帰国、佐賀城下に在住して活躍し、一門は同家の庇護のもと明治まで栄えて多くの優れた名品を生み出した。元和10年(1624年)の再上京の際には「武蔵大掾」を受領し、名を忠広と改めている。寛永9年8月15日(1632年)に逝去した。初代忠吉は得意とした端正な直刃の作風の他、長義写し・志津写し・大和物写し・青江写し等、様々な古作の作域にも果敢に挑戦した名人である。
本作は長寸で反りやや強くつき、中鋒が延びごころとなる体配に、地鉄は小板目肌に地沸が細かに入り、刃文は小沸のよくついた直刃を焼いている。本作の年紀、「寛永九年二月(1632年)」は武蔵大掾の最終年紀であり、彼の絶作となった作品である。同作が得意とし、肥前刀の御家芸とも言われるようになった端正な直刃の作品であるが、さすがに地刃共に冴え渡り、生涯を費やした技量の集大成とも言える直刃の境地を示した優品である。茎の鑽枕が残るほどに健全な状態を残しており、力強く闊達な銘振からはまだまだ衰えぬ名工の気勢を今に伝えいる。同作中の傑作として多数の研究書に所載され古来有名な作品であり、近世では東久邇宮に伝世された優品である。