刀剣界ニュース

私が出会った珍品 〈杉山茂丸旧蔵の繁慶〉

江戸時代前期、武蔵国で活躍した野田繁慶の杉山茂丸氏旧蔵の作品である。
 繁慶は三河の生まれで、野田善四郎清堯といい、元は徳川家抱えの鉄砲鍛冶であったが、元和二年(一六一六)家康没後、江戸に出て刀鍛冶に転じた。初代康継とほぼ時代を同じくし、江戸鍛冶の先駆者と言える。
 本作は作域、健全さ、外装の三点に加え、伝来においても非常に珍しい作品である。すなわち、繁慶が鉄砲鍛冶から刀鍛冶に転じた最初期の「清堯」銘の作品で、それだけでも滅多にお目にかかれない珍品であるが、何とご覧の通り無反りの造り込みである。他に類を見ないこの体配は繁慶の作中でも異風中の異風であり、繁慶その人を示しているようである。一体いかなる事情で注文された作品なのか想像をかき立てられる。
 また驚くべきことに、腰元には四センチ余に及ぶ長寸な「初うぶ刃ば」が残されている。日本刀は製作時、鎺上数センチは刃がつくほどには研がないで残しておき、そこを初刃と言うが、後に数度の研磨を経て初刃は失われていってしまう。新々刀などにはわずかに初刃が残った作品をまれに見ることがあるが、四セ
ンチという長さは新作刀のようであり、まさに打ち下ろしのまま現代に伝わった恐るべき遺作ということである。
 筆者はここまで健全に初刃を残した作品は現代刀以外では、国立博物館蔵の国宝・上杉太刀、同じく国立博物館蔵の重要文化財・北条の太刀という特殊な事情で奉納された二振を経眼するだけであり、本作にそれを見つけたときは、まさに鳥肌が立ったことをよく覚えている。
 本作に付帯の変わり鞘には、「南無妙法蓮華経甲寅之初夏其日庵主人御手製」との文が厚手の金蒔絵にて記されており、これより本作が世に聞こえた戦前の著名愛刀家、杉山茂丸(号其その日ひ庵あん)の愛刀であったことがわかる。
 杉山茂丸(元治元年〈一八六四〉〜昭和十年〈一九三五〉)は、明治から大正、昭和初期にかけて、幕末の坂本龍馬のような役割(自らは官職も議席も持
たない在野の浪人でありながら、それぞれの時代の政界実力者と結び、国事に奔走)を果たし、「政界の黒幕」と呼ばれた大人物であり、同時に伊東巳代治氏と並ぶ戦前の大愛刀家としても知られている。幻想作家の夢野久作は、その長男。
 本間薫山博士はその著書の中で「一番お世話になった先生であり、刀屋は網屋こと小倉総右衛門を非常に可愛がり、また職人を非常に可愛がる人で、特に
研師では平井千葉。私が学生時代に鍛えられた築地刀剣会(鑑賞会)にいつも鑑賞刀をお持ちになり、そうとうなコレクションであった」などと賞賛されている。戦後刀剣界の第一人者のまさに親分なのである。
 その豪快な人物像を表す逸話には枚挙に遑いとまがないが、一例を挙げると「所蔵した刀には必ず新規に拵をつけ、上等の研ぎをし、お化粧も文句のないような状態にして出す、それが愛刀家の心がけである」を持論とし、なぜ拵を付けるのか聞かれた際には「自分のうちの可愛い娘をひとさまの前に出すのに、着物
を着せないで裸で出すことがあるか」と答えたというのは、氏の日本刀への深い愛情を示すエピソードとしてあまりにも有名である。
 競うように拵を作った伊東巳代治氏の拵は名物包丁正宗や重要美術品の相州広光など、今日でも拝見の機会はあるが、杉山氏の好みで製作した拵は現在そのほとんどが行方不明のままであり、本作はまさに珍品中の珍品である。
 さすが一時代を代表する愛刀家の旧蔵品と敬服させられるとともに、江戸時代前期に製作された作品をたゆまぬ手入れにより、ここまで健全に保存した歴代所有者たちの愛刀精神に敬意を表し、私たちも後世にこの感動を伝えるべく、すべての作品を愛し、手入れ欠かさず大事に扱うことを肝に銘じたいもので
ある。(飯田慶雄)

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