鑑定書内容:文部省 重要美術品 Agency for Cultural Affairs Art treasures
- No.806
- 作者:大 左弘行 小 左国弘
- Maker:Katana: Sa Hiroyuki Wakizashi : Sa Kunihiro
- 種別:拵付大小 Daisho and Mounting
- 寸法:2尺4寸3分(73.6cm) 反り 0.6 cm 元幅 3.5cm 先幅 2.9cm 元重0.5cm
- 寸法:1尺6寸4分(49.6cm) 反り 0.6 cm 元幅2.7 cm 先幅2.0cm 元重0.5cm
- 時代:南北朝時代ー筑前国(福岡県)
- 価格:御売約 Sold Out
- 伝来:伊東巳代治旧蔵 加賀本多家 信州堀家伝来 塚本美術館旧蔵
重要美術品指定、加賀本多家伝来の左行弘と信州飯田藩堀家伝来の国弘で構成された大小である。
筑前国左文字は南北朝時代初期に出現し、それまでの古典的な九州物の作域から脱却して、清廉な地鉄に明るく華やかに冴えた刃文を焼く格調高い作域を確立した。その一門には安吉、行弘、吉貞、そして本作の弘行や国弘などの名工が輩出され師風を良く継いで繁栄した。本作は明治時代、伊藤博文の側近として大日本憲法の起草、制定に関わり「憲法の番人」として大いに活躍した伊東巳代治伯爵の旧蔵品である。同氏は大般若長光や包丁正宗などを所持した著名な愛刀家でもあり、一説にその蔵刀は六百振りとも云われ、その膨大な数の蔵刀全てに自筆で詳細を書き残している。本作の鞘、小札はまさにその実例であり、また名刀を購入すると、対になる作を購入して多数の大小拵を制作したとも云われており、本作の大小もそうして制作されたものであろう。明治維新後、多くの名刀が大名家の蔵より市井に放出された。鞘書に元信州飯田藩堀子爵家、元加州藩本多男爵家とある事から藩政時代には同家に伝わったこれらの名刀を同家より譲り受け、それを見立てて大小とし、拵を制作するとは流石時代に名を刻んだ大愛刀家の実に優雅な行いである。弘行と国弘はそれぞれ左一門の行弘、吉弘の小、または門下と伝えられる刀工で、在銘作の少ないことでも知られる左一門の作中、特に弘行は太刀、短刀を含めて在銘作は皆無とされている。国弘の脇差には享保四年(1719)光忠代御百貫の折紙が、弘行の刀に正徳四年(1714)に同じく光忠が代五百貫の折紙が付帯しており、また後に松平出羽守よりの依頼により金二十五枚の大枚に改められた事が本阿弥琳雅が本阿弥家留帳より書き留めて残されている。弘行の刀は上記の寸尺からは考えられない程の重量を誇る健全無比な状態を保っており、重要文化財指定の名物二筋樋貞宗を彷彿とさせる出来栄えである。これほどの感銘を受けたのは同作を手にしたとき以来であり、同作の国指定は重要美術品までであるが、管見の限りでは同一門中最高の健全さを誇る名刀である。