新刀

於浜御殿地藤原是一作之 於浜御殿地
Ishido Unjyu Korekazu

鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣[N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token

於浜御殿地藤原是一作之 於浜御殿地Ishido Unjyu Korekazu
  • No.837
  • 銘文:於浜御殿地藤原是一作之 天保十四年卯九月日 御腰物奉行勤役中御進献 御太刀之影乞求之 小倉十兵衛源政房蔵
  • Maker:Unjyu Korekazu
  • Sign:Made by Unjyu Korekazu order from Ogura Masafusa at Hamagoten as the Kageuchi sword for Koshimono Bugyo A.D.1843
  • 種別:刀 Katana
  • 寸法:2尺3寸3分半(70.7cm) 反り 1.8 cm 元幅 2.9cm 先幅 1.7cm 元重0.6cm
  • 時代:江戸時代ー武蔵国(東京都)
  • 価格:御売約 Sold Out
  • 刀剣博物館 特別展「日本刀オモテと裏の世界」出品 日本刀銘鑑、名刀図鑑所載品

江戸時代後期、武蔵国で活躍した運寿是一の特別保存刀剣指定作品。
運寿是一は通称政太郎といい、加藤長運斎綱俊の甥で、初め綱俊について鍛刀の技術を学び、後に六代石堂是一の養子となり、石堂家の七代目を継いで是一と称した。文政三年(1820年)に生まれ、明治24年、75歳にて没したといわれている。
享保6年、八代将軍徳川吉宗が諸大名に対して領内の刀工について報告させ、そのうち「殊に精功なる」者を選考し、法城寺康定、下坂武蔵太郎安國、玉置小市安平、宮原正清などの刀工を浜御殿へ招聘し、刀剣を打たせた。その後も同地では功労のあった幕臣への下賜品や日光東照宮への奉納品などが制作されている。下賜品や奉納品を幕府が主導して浜御殿で製造する理由として、「ふるき名匠の製したる刀は価も貴ければ。世にも人にももてはやされて。至宝となる事なれども。實は其用の利鈍に在て。価の高下にかゝはるべきにあらず。されども世人専ら古刀を貴ぶの弊ありて。新製は利刀にても。好む人少きに至れり。」という背景があったことが述べられている。つまり、武器として実用のものを幕府自らが製作して 大名・幕臣らに与えることで、平和にうつつを抜かして骨董品を珍重する武士を戒め、吉宗の進める武術奨励へと繋げるねらいがあったと考えられている。本作は銘文にある通り幕命により浜御殿(現在の浜離宮恩賜庭園)で制作された御腰物奉行勤、御進献品の影打ちである。本作の年紀、天保十四年は同作中最古の年紀であり、是一は未だ二十三歳の青年である。歳若の是一が既に幕府の用命を受け、これだけの作品を制作する技量と地位を身につけていた事は、同作の非凡なる才能を裏付けている。また小倉十兵衛源政房が本作を求めた事から当時より浜御殿にて幕命により制作される入念作に高い評価がつけられていた事を窺わせ、当時の刀剣界での世評を知る上でも貴重な資料である。

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