わが国古墳時代の出土鉄剣・鉄刀のうち、これまで銘文象嵌のあるものは以下の五点、その中で紀年銘のあるものは二点とされてきた(○印は干支入り)。
稲荷台一号墳「王賜」銘鉄剣(千葉県市原市)
江田船山古墳「獲□□□鹵大王」銀象嵌銘大刀(熊本県玉名郡和水町)
○稲荷山古墳「獲加多支鹵大王」金錯銘鉄剣(埼玉県行田市)
岡田山一号墳「各田部臣」銀象嵌銘鉄刀(島根県松江市)
○箕谷二号墳「戊申年」銅象嵌銘鉄刀(兵庫県養父市)
国産以外ではほかに、東大寺山古墳「中平」鉄刀と石上神宮「七支刀」(いずれも奈良県天理市)の二点があり、それぞれ金象嵌で元号が添えられている。
ところが昨年九月、福岡市教育委員会が、三口目の紀年象嵌銘入り鉄製大刀の発表して以来、考古・歴史の分野では大きな話題となっている。
大刀は、九州大学の移転地である福岡市西区の元岡古墳群から出土した。長さは七五。エックス線撮影によると、棟の部分一三.一四にわたって「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果□」の十九文字が確認された(十九字目は不明)。
庚寅年の正月六日が庚寅日に当たるのは西暦五七〇年であるから、銘文の大意は「五七〇年一月六日に刀を作った。およそ十二回錬り鍛えた」となる。
ところで『日本書紀』によれば、暦は五五四年に百済から来た暦博士が伝えたという。専門家は、中国の宋時代に使われ始めた元嘉暦とみている。従って本刀は、「具体的な年月日を記した初めての国産刀剣の出土」であり、「暦を使用した最古の事例」「日本列島で元嘉暦を使いこなしていた証拠」となる。
元岡遺跡からはかつて、日本国の建元年号である「大宝元年」と記された木簡も出土している。これらから大和政権の支配の広がりを説き、さかのぼって邪馬台国=大和説の確信に結ぶ向きもあるが、これは早計であろう。
元岡古墳群は、以前の弥生時代の奴国と伊都国の中間に位置し、水陸交通の要衝に当たる。古代の製鉄コンビナートの一層の解明が待たれる。(T)