刀剣界ニュース

百二十余年前の輝きが雲次に蘇る

ロシアの古都サンクトペテルブルクに、ロシアで最古と言われる国立の人類学・民族学博物館(以下、クンストカメラ)があります。
 
昨年の十二月で開館三百年を迎え、これを記念すべき事業として、同博物館が所蔵する太刀の保存と修復がこの度行われました。
 
この太刀は、一八九一年にニコライ二世が訪日した際に日本側から贈られたもので、帰国後、モスクワの美術館に寄贈され、その後現在のクンストカメラに移動し長らく同館が所蔵してきました。
 
同館の発表によると、徳川家に伝来したらしく、付随する鎺の表裏には、精密な丸に三葉葵紋が施されています。太刀表に雲次と二字銘があり、備前国宇甘庄に住した同人の作になるものです。三寸五分ほど磨り上がっているものの二尺四寸の腰反り高い太刀姿で、匂口が深く直刃調の刃文が所々見えており、地にも地沸がわずかに確認できました。太刀拵に入ったまま百二十年以上経過していたため、深い朽ち込みはないものの、刀身全体を薄錆が覆っています。
 
ロシアの文化財法にのっとり、この度の修復には多くの時間とさまざまな手続きを要しましたが、日本美術刀剣保存協会ロシア支部の協力により実現にこぎ着けることができました。
 
修復事業とはいえ、研磨・修復・保存などの言葉とその同義語の使用が一切禁じられており、ロシアでの事業名は、同館よりの発案で「王政復古」となりました。
 
日刀保小野裕会長からはロシア支部への推薦状を頂き、在日ロシア連邦大使館交流庁の元部長フェイシュン・アンドレイ氏のお力添えも頂戴しました。在サンクトペテルブルク日本総領事館の後援を賜り、開会式には山村総領事と中村副領事両名のご出席とご祝辞を頂きました。また、大変多くの方々より賜りましたご支援、誠にありがとうございました。
 
九月二十二日から十月三日までの期間、白鞘製作と研磨がクンストカメラ館内にて行われました。担当されたのは、白鞘が福島県の鞘師・塚本剛之さん、研磨が神奈川県の研師・池田長正さんです。
 
サンクトペテルブルクまでは、成田から直行便でモスクワに向かい、モスクワにてトランジットし、目的地に向かいます。約十五時間かかる長旅となり、日本との時差六時間を考えると、当日ホテルに入るのは夜中の二時ごろです。
 
二十二日から同館の日本展示室の隣のホールを会場とし、クンストカメラよりの希望で来館者へ作業を公開しながら、塚本さんの白鞘製作が始まりました。
 
連日多くの方々が来館する同博物館ですが、この度の修復事業でさらに多くが入館したため、安全性を考え、太刀を管理する担当学芸員と警備員の二名が絶えず会場に詰めており、十分な安全確保がなされた中で行われました。
 
見学に来場された多くの方や同館の関係者らから、一心不乱に取り組む日本人の仕事に対する姿勢に心打たれたとの、共通する感想をいただきました。
 
白鞘が完成して塚本さんは二十七日に帰国の途に就き、入れ替わりに研師の池田さんがペテルブルクに到着し、翌二十八日より研磨に取りかかりました。  すべての修復作業を十月三日に終えなくてはならないため、池田さんは特別に入館許可を得て九時半に仕事を開始し、閉館時間の十八時ギリギリまで連日取り組むという強行軍でした。
 
そして約束の十月三日、ニコライ二世が日本から贈られた当時の輝きを取り戻し、太刀・雲次はクンストカメラに引き渡されました。
 
板目に杢が交じり、地沸が微塵につき、地景が細かく入り、乱れ映り立ち、直刃調に互の目・小互の目が交じり、足・葉が満遍なく入り、部分的に逆がかっています。刃縁には元から先まで小沸が均一に深くつき、刃中の変化も見事な雲次でした。研ぎ終えた池田さんは、「大変働きの多い刀で、時間を忘れて楽しく仕事ができました」と述べられ、遠く離れた地で責任ある仕事を見事に果たした満足感を胸に、帰国されました。
 
数年前、この太刀を他の美術館に貸し出した際、地刃の状態が変化していたことがあり、この度の修復に関わられた皆さんの努力を考えると、今後の貸し出しは難しくなるでしょうと、文化財の管理責任者は話していました。
 
白鞘の製作と研磨の仕事を見ていた観客の多くの方々からは、ロシアの博物館の所蔵する宝物を、修復してくださってありがとうと、感謝の言葉が寄せられており、開館三百年にふさわしい記念事業は滞りなく終了しました。
(嶋田伸夫)

Return Top