新刀

左行秀 於東武土佐藩造之 慶応三年二月日
Sa Yukihide korewo Tsukuru Oite Touto A.D.1867

鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 重要刀剣[N.B.T.H.K] Juyo Token No.13

左行秀 於東武土佐藩造之 慶応三年二月日Sa Yukihide korewo Tsukuru Oite Touto A.D.1867
  • No.A681
  • 銘文:於東武土佐藩左行秀造之 慶応三年二月日
  • Sign:Tosa han Sa Yukihide korewo Tsukuru Oite Toubu A.D.1867
  • 種別:白鞘刀 Katana and Shirasaya
  • 寸法:2尺5寸1分(76.2cm)反り1.2cm 元幅3.2cm 先幅2.3cm 元重0.7cm
  • 時代:幕末期ー土佐国(高知県)
  • 価格:御売約 Sold Out

幕末期、土佐藩の名工、左行秀の作品。
左行秀は豊永久兵衛といい、筑前左文字の末孫と称し、江戸に出て細川正義の門人、清水久義に鍛刀の技を学び、卓越した技量を示して安政2年に土佐藩山内家の藩工となった。後に再び江戸に上がり、深川砂村の土佐藩邸に居所を構えて作刀したが、慶応3年、板垣退助との不和がもとで土佐に帰り、この頃より「東虎」と号している。彼の作刀は明治3年で終わり、明治20年に没している。新々刀上々作に数えられ、土佐国を代表する名工である。
彼の作風は、長寸で豪壮な造込みに、刃文、匂口の非常に柔らかく、明るい広直刃に金筋・砂流しを交えて丁寧に沸を敷いた独特の美しい作風を示している。本作は上記に述べた彼の得意とした作風をよく示しながら、特に刃肉豊かについて豪壮で、刃中の働きが豊富で覇気に優れ、地刃明るく冴え渡っている点が特筆される同作中の優品である。同作の研究書、片岡銀作著「左行秀と固山宗次その一類」においても傑作と評されており、制作年紀と「於東武」と添えられた銘文より江戸砂村の藩邸で鍛えたものとわかる。豪壮な体配を示しつつも、地刃共に実に美しく冴え渡った名刀である。付けたりの拵は前所有者が注文した近代作で、豪壮な本刀に朱塗りの鞘と実直な鉄地金具が良く調和しており好ましい。
※「左行秀と固山宗次その一類 片岡銀作著」所載

 

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